
私は、今、旧ソ連のウクライナの首都、キエフ市に住んでいます。
うちの妻は、キロヴォゴロド州の農家出身です。キロヴォゴロド州は、今ひとつアピールするものがない地味なところで、こちらのある旅行社のパンフレットにも、キエフ、クリミヤ、オデッサなどがはなやかなのに比べて、『キロヴォゴロド州』
だけで何の解説もなく、写真も白い花のさく蕎麦畑がぽつんと印刷されているだけという扱いです。社会科の授業で 『コルホーズ』 とか 『肥沃な黒土地帯』
とか丸暗記されたことがある方もいらっしゃるでしょうが、妻の実家の村もこの黒土地帯の真っ平らなステップの真ん中を流れる川沿いにあり、まわりには工場など廃棄ガスの出るようなものは、全然ありません。
これから、『お肉』 のお話しをしますけど、私の両親も 「なんて、えげつないことを、、、」 と言っていましたし、気が滅入りそうな方、必ず抗議したくなる方は、お読みにならない方がいいかもしれません。
ただ、ご理解願いたいのは、私は別に興味本位で動物を 『お肉』 にしているのではありません、食べるために処理しているのです。ウクライナはまだ肉の流通が、整備されていませんし、一般の食料品店のお肉は、品質と保存状態が悪いので買う人はあまりいません。お肉や野菜は、農家のおばちゃんたちが、かついで来て、市場で生産者から直接買うことになります。
先進国、特に日本ではお肉といえばパックされた骨なしの物ですが、こちらで肉といえば 『骨つき』 が常識です。当然、買い手の主婦たちは、「骨ばっかりじゃない!」
と言って値切りますし、売り手もうまく骨をかくしながら 「ほら、いいお肉でしょ」 といって売りさばきます。でも骨があっても普通家庭では、骨からスープのだしをとりますから、まったく無駄にはならないのですが。
さて、こちらで暮らし始めて間もないころ、市場である女の人が 「骨のない肉はないの!」 と言ってしつこく値引きを要求するのに、とうとう農家のおばちゃんが腹を立てて
「豚には必ず骨があるんだよ、骨がないのがほしかったら、ソーセージでも買いなさいよ!!」 と反撃しているところに出くわしました。確かに、豚には骨があるということが頭でわかっていても、お肉は骨なしがインプットされていた日本人としては、みょうに感心した覚えがあります。
誰かが家畜を育てて、屠殺して、骨をくだいて、切り分け、私たちの家庭でお肉として料理になるという、当り前のことがウクライナでは日本より明確に認識できるのです。
妻の実家では、以前は牛や豚もいたそうですが、今はにわとりと七面鳥、やぎとうさぎを5、60ぴき (むかし、小学校でうさぎは鳥のように一わ、二わと数えますと習ったのですが、、、?)
ほど飼っています。
『田舎でのんびり』、『のどかな農村の生活』 とか思ってはいけません。自給自足の生活で、こちらの農家の仕事は手作業が多く、早朝から夜おそくまで重労働の日々です。電気、電話、プロパンガスはありますが、水は井戸からくみ上げてバケツで運びます。生活の中で、うさぎは大切な食料なのです。
舅は、若いころに大病して、最近は体調があまりすぐれません。白内症の手術もして視力が落ちたので、うさぎをさばくのも、手探りでなかなか大変です。私は都会育ちで、クワやカマなど、もちろんうまく使えないので、田舎に行ってもうさぎの餌を運んだりぐらいしか、手助けできないのです。「おまえは、ゆっくり釣でもしていたらいいから」
と言われるのですが、やはり何か手伝いたいと思って、お父さんにうさぎをお肉にする方法を教えてもらうことにしました。(その詳細は省略させていただきます。)
以前はうさぎの毛皮は、業者が村々をまわって買い集めていたそうで、農家にとって大切な現金収入だったようです。今はこうした業者もこの村まで、めったにやってこなくなり、毛皮は納屋の中に、いっぱいたまったままになっています。
実際に生きているものをお肉にして食べてみると、本当に感謝の気持ちが湧いてきて、少し感動しました。もしかすると、当り前のことを何やら意味ありげに書いているだけかもしれませんし、年に1、2回この村にやって来て手伝うだけで、ひとり納得して満足しているだけかもしれません。
しかし特に日本の都会で育つと、私たちは、こうした当り前のことを知らぬまま、食べ物を無駄にしていることも多いのではないでしょうか。
子供たちにも、生きているものを、かわいがったり大切にしたりする気持ちを育てるとともに、食卓のお肉も生きていたんだから、残さず大切に食べるように教えたいものです。