2001.1.15 更新


英国人には至極あたりまえのことでも、

日本人にしてみれば解せないことがゴチャ万とある。

されば、英国人になってしまえばそれも

なくなるだろうと思ったが、やっぱり私は

大和撫子とまではいわないけれど、まだ、日本人なのです...


日本語教師 (2001.1.15)
いえ〜す! (2000.11.9)
(2000.10.9)
隠し子 (2000.9.15)
誉める (2000.8.17)
時差 (2000.7.12)
豚に真珠 (2000.6.15)
ユーロビジョン・ソング・コンテスト (2000.5.17)
ネットサーフィン (2000.4.24)



 

風呂−再び (2000.3.22)
らりるれろ (2000.2.19)
命取り(2000.2.11)
紙と木の奇跡 (2000.1.26)
サンタよさらば (2000.1.1)
翻訳 (1999.12.19)
親ばか (1999.12.12)
カニ (1999.11.8)
風呂 (1999.10.25)



日本語教師

うちのHPを訪れて下さる方々の中には日本語教師を目指す方が多く、同じような質問を何度となくいただいているので、ここでまとめて答えさせていただくことにする。

私は日本にいた時私立の小学校で図工を教えていたことがある。塾で、小中学生の数学と英語、高校生の現代国語と英語を教えていたこともあった。子供と接するのはおもしろかったし、授業を楽しいものにするための教材作りに何より興味があった。

結婚後しばらくぶらぶらしていたが、実家の父に勧められて通信教育 『日本語教師養成講座』 を終了。その直後に某企業から頼まれて、4人の上部役員たちに日本語を教えることになった。しかし、その後間もなく出産。 配偶者も私自身も母親が専業主婦の家庭に育ったので、子供が生まれた後仕事をすることは正直言って考えてはいなかった。子育てと家事がやたら忙しくて、その上に仕事をするなんて無理な話だった。

やがて、息子が通うことになった小学校の校長先生との話から、図工と Reading (読み方) のクラスをボランティアとしてお手伝いすることになった。これがある意味で 『教える仕事』 に復帰する可能性を考えるきっかけになったのかもしれない。

5年前、某 college の日本語教師募集の新聞記事を見た知人が電話をくれた時、迷わずそれに応募してしまった。 こんな田舎でも、日本人2人イギリス人4人の応募があったそうだ。面接は日本人とイギリス人をペアにして行われた。イギリス人の日本語力と日本人の英語力を観察するという選考側の意図からだろう。その中からひとり選ばれたのはラッキーだったと思っている。その後、他の college からも頼まれて教えるようになった。

私は日本語教師としてイギリスに渡ったのではなく、こんな具合にほとんど成り行きで日本語教師になってしまったので、日本語教師を目指す方々に 「こうすれば日本語教師になれる」 という秘訣のようなものを伝授することは出来ない。採用事情は新聞から得ることになるが、日本のように就職がある程度一定の時期に定まっていないイギリスでは、いつ日本語教師募集の広告がどの新聞に出るか予想することは難しい。ちなみに、資格を持っていることは当然有利だが、実力がものをいうこの社会で、資格があるだけというのもあまり意味がない。経験も問われる。

イギリスでパートタイムで日本語を教えているのは、主に、日本人商社マンの妻かイギリス人の配偶者をもつ日本人である。それも、安い時給でも喜んで!という心構えの人間に限る。現在では、日本語教師の資格をとることが出来る大学がイギリスにも増えており、日本語教師のポストは、労働ビザのない外国人よりイギリス人に与えられてしまうことが多くなったといううわさもある。

日本語教師のポストが日本人よりイギリス人に与えられるとしても、驚くほどのことはない。日本でも、英語教師のポストは英米人より日本人に与えられている。特に中学校や高校の英語の先生は、ほとんど全員が日本人だ。教師というのは単に教えるばかりではなく、かなりの雑用をこなさなければならず、そのためには現地語が話せなければ出来ない職業だからだと思う。おまけに、ここに改めて書くまでもないが、どこの国でも外国人が労働ビザをとるのは至難の業だ。ボランティアとして (無給で) 日本語を教える場合は別だが。

イギリスで日本語を教えるには、何よりも英語力が要る。授業中教師が日本語で話すことは大きなメリットがあるとはいえ、生徒からの質問 (英語) を理解し、文法的なことを英語で解説することが出来れば余分な時間が節約できる。私の場合、イギリス生活が永くなって、英語でのコミュニケーションにある程度自信がついてから教えることになったことは幸いだったと思っている。

college では授業をするだけではなく、数々の書類に目を通し、生徒の学業評価を書かねばならない他、折々ミーティングに出席して発言しなければならない。ボランティアとして働く場合はそういうことを要求されることはないと思うが、こういった雑用をこなし、他の講師とうまくお付き合いしていくことも仕事の一部だ。

日本語を教えるようになってからというもの、日本語と日本を再発見し、自分自身のアイデンテティーと正面から向かい合う経験をさせられている。日本語を教えることは本当におもしろい。教える立場にある自分が何より教えられていることに気づかされつつ、多忙な毎日をおくっている私だ。

日本語教師を目指すあなたに、心からエールをおくりたい。

 

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いえ〜す!

日本語を教えるようになって初めて、日本語の理不尽さ奇怪さが身にしみてわかるようになった。日本語くらいやっかいな言語はない。それを苦労なしで話せる母国語として育った日本人は、世界一幸運な人種であると私は思うのだ。

私が初めて日本語を教えたのは、某英国企業の4人の上部役員であった。彼らの口から出た最初の質問が 「日本人は Yes と言って、Yes を実行しないのは何故か?」 というものであった。
通訳がイギリス人であれ日本人であれ、単に 「はい」 を 「Yes」 と置き換えてしまう人間が多いことに問題の発端があるようだ。もちろん、何度か日本に行って日本人と会って、何回となく日本人が 「はい」 と言うのを聞き慣れているビジネスマンが 「はい」 と 「Yes」 をイコールで結び付けるまでさほど時間はかからない。

確かに 「Yes」 を古い辞書でひくと、そんな単純で罪な訳になっている。私の授業では、日本人の 「はい」 は時には単なる “音” にすぎないと解説している。おはやしの 「ハァイハイッ♪」 のようなものだ。日本語の会話は聞き手の 「はい」 という ”音” がところどころに入ることによって流れが出来るのであり、この “音” なくしては日本語の会話が成り立たないと言っても過言ではない。それほど大事なのだが、この 「はい」 をいちいち 「Yes」 ととっていると、これまた一大事になってしまうのだから始末が悪い。

実際、欧米人は 「Yes」 を日本人ほど頻繁に口にしないのだ。 注意しなければならない 「はい」 は、いわゆる否定疑問文への返答。英語でも難しい。

ここにひとつの例を挙げるので、あなたの終生の訓戒にしていただきたい。

初めてのデートから1週間目のこと、”配偶者”に昇格する前の男が私にこう言った。「Don’t you want to marry me?」 (アナタハ僕ト結婚シタクアリマセンカ?) この質問に 「はい、結婚したくありません」 と言うつもりで 「いぇ〜す」 と答えてしまった私。否定疑問文は中学英語で習う。正しくは「いいえ、結婚したくありません」 で、「のぉ」 と答えなければならなかったのだ。そんなことは文法上百も承知、試験でもちゃんと○をもらった。マークシートなら自信を持って正解できたものを・・・。

現地のイギリス人は、日本で購入した英会話のテープのようなとてつもないスローモーションでは話さないので、とっさに 「はいはい、聞いていますよ」 のあいづちがらみで 「いぇ〜す」 と言ってしまったのかもしれない。その後で 「まぁ〜、でもちょっとそういう話は早すぎるんじゃないんかなぁ〜」 なんてなことを言うのが日本語の会話の流れであろう。しかし、そういう日本流も通じなかったわけだ。

中学校時代、あのおっかない英語の先生が言ったことは本当だったのだ。「今のうちに真面目に英語をやっておかないと、後で大変なめに遭うぞぉっ!」 事実、大変なことに、2ヵ月後には婚約指輪をもらってしまった。もちろん、自分でもよくわからん事態を帰国して両親に納得させるのは至難の業であったが、その帰国中の5ヶ月間、彼は1日も欠かさず毎日短い電話と長い手紙をくれた。その後イギリスに戻って教会で結婚式を挙げたのが、かれこれ16年前のことである。

日本に里帰りした時のこと。電車の窓から、とある英会話スクールの広告が目に入った。曰く 『あなたの英語力があなたの将来を変えるかもしれない』。まったくもってその通り。妙に納得し、深く深くうなずいてしまった。

 

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イギリスには『幽霊屋敷証明協会』というものが存在する。お墨付きの幽霊屋敷に数えられることは大変な名誉らしい。

地震のない国イギリスの建物というのは、石や煉瓦でできているので数百年はもつ。それだけ永いこと建っている間には、そこの住人が死亡したり、それこそ殺人まがいの事件が起こったりすることも当然あり得るわけだ。

日本の紙と木で出来た家は、売りに出される中古の多くがつぶされる運命にあるので、家ではなく土地を売買しているとも言えるだろう。小泉八雲が『心』の中で日本という国には永久というものがないと言って、その例に、いとも簡単に街角に現れては消える日本家屋を挙げている。霊がすみつくには、少なくとも数百年もつような半永久の家が存在するヨーロッパが舞台でなければならない、と私は思ったりする。

子供の頃、兄が愛読していた『ぼくら』や『少年キング』という雑誌のふろくには『世界の妖怪大全集』なんてのがあった。お馴染みの日本の座敷童子、一つ目小僧、傘小僧などのほかに、ヨーロッパの妖怪の中には “妖怪デブ女” というのがいて、飛行機に乗った途端みるみる体重が増えて、飛行機を墜落させるのだそうな・・・!?今なら、飛行機で旅をするモダンな ”妖怪” を笑う余裕もあるのだが、幼かった当時の私を震え上がらせるに足る話であった。「くわばらくわばら、どうぞこのデブ女と同じ飛行機に乗り合わせることがありませんように」と真剣に祈った私。しかし思えば、日本とイギリスを渡る12時間の退屈な旅では機内食だけが楽しみじゃないか。配偶者には「その妖怪なんとやらは君のことじゃないの? 墜落させられたら困るから、君の分は僕が食べてあげよう」なんて言われてしまった。

先進各国の住宅の建て替え周期は、日本が飛びぬけて短く26年。ドイツ79年、フランス86年、アメリカ103年、一番長いのがイギリスで141年とのこと。もちろん、これだけ長持ちさせるにはメンテナンスをマメに行わなければならない。プロに頼む経済的余裕のあるところもあれば、節約と趣味を兼ねてそこの住人自身が手がけることも多い。最近建てられる家は、経費節約のために二重壁でも内側に灰色のブロックが使われるようになったようだ。

私が現在住んでいる家は築55年で、外側も内側も本物の赤煉瓦が使われている。ダイニングルームに窓を付け加えた時、壁をぶち抜いてくれたビルダーが「すっげぇ頑丈な家だな」とうなっていた。新婚時代住んでいたのは、築200年の歴史ある石造りの貯水塔だった。私達が住んでいたフロアは2階。3階が巨大な貯水タンク(水は入っていなかった)。1階に住んでいた大家で作家の老婦人が、当時執筆中だった本が売れたら3階を屋内プールにすると言っていたのを思い出す。その後引越した先は、築300年の家だった。

イギリスには古い家がたくさんあり、新築の家を “個性に欠ける安普請” とみなす人間もいるくらいである。ビクトリア朝に建てられた家の一部屋あたりの面積や天井までの高さは、新築の家のそれと比べると絶対的に広く大きい。とはいえ、広いということは敷き詰めるカーペット代も、暖房費も高くつく上、いつ修理しなければならないかわからない古い配管等、メンテナンスの心配がついてまわる。新築の場合はガレージがついている家が多いが、ついていない古い家はパーキング確保の問題がある。と、まぁ、それぞれいいところも悪いところもあるわけである。

建築材が豊富で比較的新しい1930年代に建てられた家が一番いいという見方もある。また当然ながら、不動産の価値には、立地条件や環境というのも大きく影響を与えることは言うまでもない。

今後、我が家に幽霊の住む可能性があるとしたら、それは台所だろう。割ったお皿は数知れないのだから。

 

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隠し子

日本語教師として日々研鑚に励むべく、講演会やセミナーには出来る限り参加するように心がけてはいるものの、遠路はるばるロンドンまで出掛けるのは一仕事である。今年は家庭の事情もあり、参加を見送らざるをえないものが多いことは残念だ。

某講演会に出席した時のことである。午前の部も終わり、全員ぞろぞろと昼食の準備された別室へと移動した。主に日本語教師の集まりに利用されるのはハロッズから遠くない “K基金” で、出される昼食は当然のことながら日本食が主である。ここでの勉強会に集まってくるのは、実際にイギリスで日本語を教えている教師よりも 『日本食に飢えた日本人留学生もどき』 の方が多い、というまことしやかなウワサが流れるほど、おいしいんだなぁ。

しかし、その日私が出席していたのはマイノリティー・ランゲージ (少数が学んでいる外国語。イギリスでは、日本語、中国語、トルコ語、ギリシャ語、アラビア語等がこれにあたる。) を教えている教師向けの講演会であった。講演会場に使われていたビルは、カーペットの厚さが “K基金” のあるビルに敷いてあるものの半分であることを除けば、立地条件、設備とも負けず劣らず。

とはいえ、昼食に期待をかけるのはお門違いというものであろう。 こういった場での昼食は立食スタイルが当然なので、それが明らかになった途端、ド田舎から片道4時間かけてロンドンまで出てきた私の苦労が、水の泡になった気分に陥ることはない。

予想通りほとんどサンドイッチの類だったが、美しいサリーを身にまとったインド人と思われる女性が食べているところを見ると、パイのようなものもあるようだ。なんだかカレーが入っているみたいなので聞いてみた。「辛くないよ」 という彼女の言葉に見事に騙されて口に入れると、耳から蒸気、目から涙が出たが、喉から声が出ないという状態に陥った。いやはや辛いのなんの、聞く人間を間違えたわい。 やむなく、ぱさぱさに乾いたスポンジの親戚と見まごうほどの食パンの間に、きゅうりとミクロの壁に挑戦かと思わされる超薄のハムの存在を確認すべく、ステンレスの皿にてんこ盛りに積まれたサンドイッチを取って食べることに専念した。

そのうち、中国語と日本語を教えているという才媛の中国女性と目が合って、日本語で話が弾んだ。彼女の日本語は、古本屋で手に入れた本からの文章を丸暗記したのではないかと思われる程の丁寧体。すっかり打ち解けた彼女、午後の部で講演することになっている氏が 「隠シ子ヲ持ッテイラッシャル、有名ナ方デス。」 なんてことまで私に教えてくれたのであった。

さて、どう見ても食欲がそそわれないデザートはパス。時間が予定をオーバーしているというアナウンスがあったので、コーヒー・カップを手に、彼女と並んで会場の席に戻った。スコットランドなまりの司会者がマイクを握り、講演して下さる氏の紹介を始めた。ところが、コーヒーを優雅にすすりながら司会者の言葉 (英語) を聞いているうちに、突然、氏が持っているのは 「カクシゴ(隠し子)」 ではなく 「ハクシゴウ (博士号)」 であることに気が付き、食道へ送られるはずだった口の中のコーヒーは気管の方へぶっ飛んでしまったではないか。隣の席でゴホゴホと咳き込む私を見た彼女、さらにその丁寧な日本語でこう言ったのだった。「大丈夫デスカ? 気ヲ確カニ持ッテ、ドナタカ最期ニ、連絡ヲ取リタイゴ家族ノ方ハイラッシャイマスカ?」

イギリスで日本語がわかるとコーヒーがまともに飲めない、という不便なお話でありました。

 

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誉める

日本人の誉め方のまずさには定評がある。なにを隠そう私もその一人だ。特に身内に対するものはどうもうまくいかない。誉め方だけならまだしも、誉められた場合、どう対応したものかたいそう居心地の悪い思いをさせられるのだ。

配偶者の父親が私の父に 「聡明デ思イヤリニ満チタ、スバラシイオ嬢サンヲ義娘ニスルコトガ出来テ、光栄デス。」 なんて言っていた。それを通訳しながら吐きそうになっていた私。父の返答たるや典型的日本人のそれ 「まぁ〜どうしようもない娘でねぇ… お恥ずかしい限りです。」 これを字義通り訳したら配偶者の父親は真っ青になってしまった、という苦い経験がある。これは私が結婚したばかりの頃の話だが、これと似たような経験をしたことのある日本人は多いと思う。

イギリス人の夫を持つさんの結婚は暗礁にのり上げていた。Xさんは日本に居るご両親に電話して事情を説明した。原因のひとつは舅姑と折りが合わないことだった。心配したさんの母親がさんの夫君に電話をし 「娘がふつつかなもので、ご迷惑をおかけしているようです」 と言った。たまたま訪れていた姑に夫君がこの言葉を伝えたところが、ことはますますこじれた。姑が 「実の親までがさんのせいだと言っている」 ととったからだ。いかに日本語が流暢なさんの夫君といえども、日本人の親としての微妙な立場や文化習慣の背景というものは、理解し難いものなのか。

さんは2年前からイギリス人の夫君と別居している。「『おまえひとりががまんすればいいことじゃないの?』 って。まるで私のせいだって感じだから、もう離婚のことは母に話さないことにしたの。」 とため息をつくさんは、さんと私と同じ年代だ。親も子も "忍耐" と "自己犠牲" そして "謙遜" を美徳として育った世代で、自分の子供は "愚息" と "お恥ずかしい娘" と相場が決まっているのだ。

さんは現在イギリスに住んでいるが、日本からご子息が婚約者を連れてやって来たそうだ。「住んで1年ばかりで、私は今だに英語が話せなくって」 とさんが謙遜すると、ご子息の婚約者の母親は 「どうぞうちの娘を通訳がわりにして下さいな。大学では英文学をやりましたから。」 と電話で言ったそうだ。「やっぱり英語は大学までいかないと… 短大の英文科卒なんて全然話せませんでしょ。」 この言葉に某短大英文科卒のさんの目はテンになったが、反論はしなかった。結論を言うと、かわいいお嬢さんではあったが、実際さんの通訳をするにはほど遠い会話力だったそうだ。おまけにこのお嬢さんが "ポンド" のかわりに "クイッド" を連発することに、さんは閉口させられた。

日本ではスラングを喜んで覚える風潮があるようだし、さんに上流階級気取りをするつもりはさらさらないが、やはり外国人がこういった言葉を使うのは聞き苦しいと思うそうだ。まして、他のことは英語で言えないのに? という変な感じがあることは否めない。

未来の姑として辛い点をつけていると自嘲しながらも 「日本でも最近の親は自分の子供を誉めるわよ。やっぱり個人差もあるだろうけど。」 という御意見であった。

郷に入っては郷に従えというから、この次日本に行った時は、私も努力して自分の息子を誉めなければならないのだろうか。なんだか大変な話じゃのぅ… 配偶者とふたりだけで自画自賛してるだけならいいんだけど… その節には、このページのタイトルも 『日本超不便日記』 に変更する予定でいる私である。

 

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時 差

2年前に息子を連れて日本に里帰りした時のことである。小学生の甥っ子はポケモン一筋であった。家の中のあちこちにポスターが貼られ、手に持って片時も離さないのがゲームボーイ。口にする呪文のようなのはポケモンのキャラクター名、何もかもがポケモン一色。(と言うのも「今にして思えば」のことである。)兄がイギリスに持って帰るおみやげに、ポケモン・グッズを買ってくれると申し出た時、躊躇することなく「ノー・サンキュー」と返答してしまった私と息子。

時は移り、アメリカでの大成功を掌中に、ポケモンは遂にイギリスにも上陸を果たしたのであった。(ちなみにイギリスでは pokemon の e の上にアクセント・マークがついている。アクセント・マーク抜きでは「ポークモン」と英語圏の人間たちが発音してしまうからだ。)そこで初めて、あの時日本で目にしたあの異常現象が "これ" であったと目が覚めた。

日本語の授業で使うつもりで買った小学校低学年向けの雑誌にも、様々なポケモンのふろくが付いていた。こんなゴミをスーツケースに詰め込んで、重量オーバーにひかっかってはたまらないと、それは全部実家のごみ箱に捨ててきてしまったのだ。

その後遅れ馳せながら、すっかりポケモン・マニアに成りきった息子は 『ご当地であのポケモンを無視してしまった』 という気違いじみた行為を深く後悔しているが、今となっては後の祭り。意外な流行の "時差" がここにあったのだ。

日本から戻った数日後、配偶者と私は友人の家でコーヒーを飲みながら、目まぐるしく進歩するテクノロジーについて話をしていた。友人が私にデジカメは持っているかと聞く。こういう時、日本人の染色体には "謙遜" の2文字がすり込まれているのではないかと思うほど、自動的に物事を必要以上に謙虚に表現してしまう私。「兄が、時代遅れのデジカメを買ってくれて…大した機能もないんだけど。」

日本のテクノロジーの進度には、こちらがついていくのが大変なほど。私達の滞在中にも社のデジカメの新型が出たため、その前の型が超お買い得値に下がったというので、兄が買ってきてくれた。"お買い得値" とは言っても、極貧の私には手の出ない贅沢品であったし、兄の思いやりには感謝の思いで一杯であったというのが本当のところだったのだが。

そこへ友人の奥さんが帰宅した。小学校で教頭をしている彼女は、ノート型パソコンを小脇に抱えていた。彼女の勤める小学校でも授業でパソコンを使うそうだ。来週は画像の取り入れ方について学ぶことになっていると言う。PTA が気前良く費用を出してくれたので、カメラ店を経営する父兄に頼んで最新のデジカメを手に入れてきたと彼女が言う。「今日お店に入ったばかりの最新タイプなんですって。『すごく高いんだから壊さないで』 って校長に念をおされたわ。」 笑いながら彼女がバッグから取り出したデジカメを見た私は、どんな表情をしていたのだろう。とにかく自分の全身の血のひく音が耳に聞こえたと言ってもうそではない。

「ところで」 と友人がこちらを向いた。「日本からやって来た時代遅れのデジカメはどこ?」 まさかそっくりさんのデジカメを出すわけにもいかないので、とっさにうそをついてしまった。「やっぱり、まだ時差ぼけみたい。持ってきたと思ったんだけど… 」 バッグの中をさぐるふり。 インターネットの普及によって、今や国家間の時間的な距離はなくなったと言っても過言ではない。しかしこんな意外なところに、テクノロジーのちょっとした "時差" があったとは。

 

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